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A Beautiful Mind: The Life of Mathematical Genius and Nobel Laureate John Nash
出版社 Simon & Schuster 著者 Sylvia Nasar 発売日 2001-11-27
この本に関する書評
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Amazonレビュー
映画に共感した方は読みたくなると思うが、映画から入った方はがっかりするかもしれない。
個人的に数学者になりたかった過去と照らし合わせて読んでいた。興味の無い方が読むと眠たくなってしまう文体なのが残念だ(訳がよくない関係もあります)。
映画から入った方は「映画のイメージを壊されたくない」と思うし、原作本から入った方は「本のイメージを壊されたくない」と思うことはよくあるので、
どこまで手を伸ばしたいかによって変わってくる。
映画を観ていないけどどんな作品かを知りたいという方は一読されてみると良いであろう。逆は何とも申し上げられない。
個人的に数学者になりたかった過去と照らし合わせて読んでいた。興味の無い方が読むと眠たくなってしまう文体なのが残念だ(訳がよくない関係もあります)。
映画から入った方は「映画のイメージを壊されたくない」と思うし、原作本から入った方は「本のイメージを壊されたくない」と思うことはよくあるので、
どこまで手を伸ばしたいかによって変わってくる。
映画を観ていないけどどんな作品かを知りたいという方は一読されてみると良いであろう。逆は何とも申し上げられない。
まず、はじめに、誤解を取り除いておく必要がある。
本書の主人公である天才数学者、ナッシュは−−
若い頃、数学者として素晴らしい業績を残したが、天才によくある例にもれず、精神に異常をきたしてしまった。そして、長年、闇の中をさ迷っていたが、あるとき突然(あるいは徐々に)復活し、今度は、経済学の分野で瞠目すべき業績を残し、めでたく、ノーベル賞を受賞した....
−−わけでは、決して無い!!
まず、全体のページ配分を計算すればすぐわかるが、1970−80年代の「暗黒時代」の記述量が圧倒的に少ない。さらに、その後、ノーベル賞を受賞するまでの「復興期」についても同様で、彼が何故・どのようにして精神の輝きを取り戻したのか、読者が一番知りたい箇所が霧に包まれている。二十代の若き日の奇行の数々については、はっきりいって、他にも多くの天才数学者や物理学者の先例があり、そこに全体の三分の二も割く必要があったのか、伝記の構成として大いに疑問が残る。
第二に、彼がノーベル「経済学」賞を受賞したのは、若き日の業績が遡って再評価されたに過ぎないのであって、精神病の暗い闇を通り抜けた後、また、奇跡のように若き日の天才振りを発揮して、新たな研究を始めたわけではない。
さらに、彼が受賞したのはかの悪名高き「経済学」賞であって、それはノーベルその人が自らの遺志で遺したものではなかった。ここら辺の事情は、タレブの「まぐれ」という傑作本でも触れられている。
ちなみに、数学界のノーベル賞といわれる「フィールズ賞」を、ナッシュは受賞して「いない」。
彼の若い頃の業績を知る学者たちの中には、若き日の純粋数学での業績のほうがはるかに巨大だと評価する人も多いようだ。
しかも、いまどき、経済学における「ゲーム」系の理論を無条件に敬うのは、よほど見識が無い人だろう。本書は1998年に公刊されたようだが、ちょうどその年に、米国ではLTCMが崩壊している。
ナッシュの経済理論分野における業績が、果たしてどれほどのものか、本書ではまったく手放しで評価しているようにしか思えない。
さらに、ナッシュの人間性について。
本書の末尾近くに記載されているエピソードだが、−−
ナッシュは、若い頃、自分の世話をしてくれた看護婦に産ませた長男、デヴィッドと、ノーベル経済学賞受賞後に再会しているが、彼が母親のように看護士の仕事を選んだことが不満で、さらに父と同じように精神病を病んでいる嫡子の次男ジョニーの面倒を見てくれることを希望したが、それは、すぐそばに「自分より知的能力で劣る」兄がいることは弟にとって良いことだと口を滑らしたという。
この件を読んで、ナッシュというやつは、つくづく唾棄すべき奴だな、と心底気分が悪くなった。伝記を読んで、その主人公を軽蔑したくなったのは、これが初めての経験だ。
それでも、彼は、「ビューティフル・マインド」なのだろうか?
おそらく、ジョン・フォーブス・ナッシュという天才数学者は、もっと複雑で奥の深い人間なのではないだろうか? 誤解を恐れず書けば、著者シルヴィア・ナサーが女性で三児の母であるという小市民的なポジションが、彼女の筆致を鈍らせ、ナッシュの実像に迫ることを妨げたのではないだろうか?
私はそう、推察する。
本書の主人公である天才数学者、ナッシュは−−
若い頃、数学者として素晴らしい業績を残したが、天才によくある例にもれず、精神に異常をきたしてしまった。そして、長年、闇の中をさ迷っていたが、あるとき突然(あるいは徐々に)復活し、今度は、経済学の分野で瞠目すべき業績を残し、めでたく、ノーベル賞を受賞した....
−−わけでは、決して無い!!
まず、全体のページ配分を計算すればすぐわかるが、1970−80年代の「暗黒時代」の記述量が圧倒的に少ない。さらに、その後、ノーベル賞を受賞するまでの「復興期」についても同様で、彼が何故・どのようにして精神の輝きを取り戻したのか、読者が一番知りたい箇所が霧に包まれている。二十代の若き日の奇行の数々については、はっきりいって、他にも多くの天才数学者や物理学者の先例があり、そこに全体の三分の二も割く必要があったのか、伝記の構成として大いに疑問が残る。
第二に、彼がノーベル「経済学」賞を受賞したのは、若き日の業績が遡って再評価されたに過ぎないのであって、精神病の暗い闇を通り抜けた後、また、奇跡のように若き日の天才振りを発揮して、新たな研究を始めたわけではない。
さらに、彼が受賞したのはかの悪名高き「経済学」賞であって、それはノーベルその人が自らの遺志で遺したものではなかった。ここら辺の事情は、タレブの「まぐれ」という傑作本でも触れられている。
ちなみに、数学界のノーベル賞といわれる「フィールズ賞」を、ナッシュは受賞して「いない」。
彼の若い頃の業績を知る学者たちの中には、若き日の純粋数学での業績のほうがはるかに巨大だと評価する人も多いようだ。
しかも、いまどき、経済学における「ゲーム」系の理論を無条件に敬うのは、よほど見識が無い人だろう。本書は1998年に公刊されたようだが、ちょうどその年に、米国ではLTCMが崩壊している。
ナッシュの経済理論分野における業績が、果たしてどれほどのものか、本書ではまったく手放しで評価しているようにしか思えない。
さらに、ナッシュの人間性について。
本書の末尾近くに記載されているエピソードだが、−−
ナッシュは、若い頃、自分の世話をしてくれた看護婦に産ませた長男、デヴィッドと、ノーベル経済学賞受賞後に再会しているが、彼が母親のように看護士の仕事を選んだことが不満で、さらに父と同じように精神病を病んでいる嫡子の次男ジョニーの面倒を見てくれることを希望したが、それは、すぐそばに「自分より知的能力で劣る」兄がいることは弟にとって良いことだと口を滑らしたという。
この件を読んで、ナッシュというやつは、つくづく唾棄すべき奴だな、と心底気分が悪くなった。伝記を読んで、その主人公を軽蔑したくなったのは、これが初めての経験だ。
それでも、彼は、「ビューティフル・マインド」なのだろうか?
おそらく、ジョン・フォーブス・ナッシュという天才数学者は、もっと複雑で奥の深い人間なのではないだろうか? 誤解を恐れず書けば、著者シルヴィア・ナサーが女性で三児の母であるという小市民的なポジションが、彼女の筆致を鈍らせ、ナッシュの実像に迫ることを妨げたのではないだろうか?
私はそう、推察する。
この実話は、ジョン・ナッシュという稀れにみる天才的な数学者が30歳を境に
して30年間以上、遺伝性の重症な「精神分裂症」に苦しみながら、ついに奇跡
的にその難病から回復してまもなく、彼が20代に発見した「ゲーム理論」の経済学への多大な貢献が評価されて、ついにノーベル経済学賞までもらうという、ハッピーエンド映画の原作である。
(高等数学も経済学もわからないごく粗朴な生物学者である)私が最も感銘したのは、彼の偉大さではなく、彼の妻となったアルシアというインテリ女性の彼に対する並々ならぬ献身である。エル・サルバドル生まれの良家の娘だった彼女は、物理学者をめざして米国のMITで就学中、彼女の数学教師であるナッシュ教授に惚れ込んでしまい、結婚にゴールインする。ところが不幸にして、まもなく彼に凶暴性を帯びる「精神分裂症」の発作が現れ、精神病院に2、3度隔離する必要性さえ出てきた。折しも、彼女は彼の息子(ジョニー)を妊娠中だった。
2、3年後、彼女はナッシュとはもはや正常な結婚生活が無理なことを悟って、一旦彼と離婚手続きをする。しかしながら、病める夫を世話する者が誰もいないことを知って、彼女は以後30年以上、彼を自宅に同居させ、生活の面倒をひたすらみ続ける。そのおかげで、彼は重症な「精神分裂症」から奇跡的に自然治癒することができる。
離婚した夫に対して、いわゆる「愛」を感じなかっただろうが、彼女の心には(夫を何とか助けてやろうという)深い「ヒューマニズム」が溢れていた。その「美しい心」に私は痛く感動した!
して30年間以上、遺伝性の重症な「精神分裂症」に苦しみながら、ついに奇跡
的にその難病から回復してまもなく、彼が20代に発見した「ゲーム理論」の経済学への多大な貢献が評価されて、ついにノーベル経済学賞までもらうという、ハッピーエンド映画の原作である。
(高等数学も経済学もわからないごく粗朴な生物学者である)私が最も感銘したのは、彼の偉大さではなく、彼の妻となったアルシアというインテリ女性の彼に対する並々ならぬ献身である。エル・サルバドル生まれの良家の娘だった彼女は、物理学者をめざして米国のMITで就学中、彼女の数学教師であるナッシュ教授に惚れ込んでしまい、結婚にゴールインする。ところが不幸にして、まもなく彼に凶暴性を帯びる「精神分裂症」の発作が現れ、精神病院に2、3度隔離する必要性さえ出てきた。折しも、彼女は彼の息子(ジョニー)を妊娠中だった。
2、3年後、彼女はナッシュとはもはや正常な結婚生活が無理なことを悟って、一旦彼と離婚手続きをする。しかしながら、病める夫を世話する者が誰もいないことを知って、彼女は以後30年以上、彼を自宅に同居させ、生活の面倒をひたすらみ続ける。そのおかげで、彼は重症な「精神分裂症」から奇跡的に自然治癒することができる。
離婚した夫に対して、いわゆる「愛」を感じなかっただろうが、彼女の心には(夫を何とか助けてやろうという)深い「ヒューマニズム」が溢れていた。その「美しい心」に私は痛く感動した!
ゲーム理論に魂を吹き込んだ男=天才ナッシュの伝記です。アカデミー賞映画『ビューティフル・マインド』の原作として有名な本書では、映画では触られていないエピソードや事実が満載なので映画を見た方でも違った視点で楽しむことができます。
(ナッシュの引き起こした様々なトラブルが載っているのでショックを受ける方もいらっしゃるかもしれませんが・・・)
今年はナッシュ80歳の節目の年です(まだご存命です!)。未読の方はこの機会に本書を通じて生きた天才ナッシュの実像に迫ってみてはいかがでしょうか?
(ナッシュの引き起こした様々なトラブルが載っているのでショックを受ける方もいらっしゃるかもしれませんが・・・)
今年はナッシュ80歳の節目の年です(まだご存命です!)。未読の方はこの機会に本書を通じて生きた天才ナッシュの実像に迫ってみてはいかがでしょうか?
話自体は大変興味深いものです。しかし訳者が大変不勉強です。
最大の過ちは何といっても本書の表題である"a beautiful mind"を「美しい心」と訳していることでしょう(「訳者あとがき」)。"mind"とは感情の働きとは異なる、理性による論理的思考のことです。アメリカ人は"heart"(心)というとき、胸を指しますが、"mind"というときは頭を指します。したがって本来これは「優れた頭脳」、「優れた思考」とでも訳されるべき言葉です(たとえばロースクールで教えられるところの"legal mind"は「法律的思考」と訳されます)。
普通の日本人にとって"mind"と"heart"という言葉の区別はつきがたく、多くの人が"a beautiful mind"を「美しい心」と間違って解釈していると思います。プロである翻訳家はそれを改めるだけの技量があってしかるべきです。
また本書はアメリカの大学に関する記述が多いにも関わらず、訳者はアメリカの大学制度に関する知識も持ち合わせていません。「教養課程が最もすぐれた大学のひとつ、アマースト大学」(p-516)というのも、訳者が"liberal arts college"と総合大学との違いを知らないことを物語っていますし、"University of Wisconsin"を「ウィスコンシン州立大学」と訳すのも、訳者がアメリカの"University of 州の名前"と"州の名前 State University"の違いを理解していない証左です(訳者はたとえば両方とも州立である"California State University"と"University of California"をどう訳し分けるつもりでしょうか)。
ということで話は面白いのに、時折現れる変な訳が気になってとことん楽しめない作品です。
最大の過ちは何といっても本書の表題である"a beautiful mind"を「美しい心」と訳していることでしょう(「訳者あとがき」)。"mind"とは感情の働きとは異なる、理性による論理的思考のことです。アメリカ人は"heart"(心)というとき、胸を指しますが、"mind"というときは頭を指します。したがって本来これは「優れた頭脳」、「優れた思考」とでも訳されるべき言葉です(たとえばロースクールで教えられるところの"legal mind"は「法律的思考」と訳されます)。
普通の日本人にとって"mind"と"heart"という言葉の区別はつきがたく、多くの人が"a beautiful mind"を「美しい心」と間違って解釈していると思います。プロである翻訳家はそれを改めるだけの技量があってしかるべきです。
また本書はアメリカの大学に関する記述が多いにも関わらず、訳者はアメリカの大学制度に関する知識も持ち合わせていません。「教養課程が最もすぐれた大学のひとつ、アマースト大学」(p-516)というのも、訳者が"liberal arts college"と総合大学との違いを知らないことを物語っていますし、"University of Wisconsin"を「ウィスコンシン州立大学」と訳すのも、訳者がアメリカの"University of 州の名前"と"州の名前 State University"の違いを理解していない証左です(訳者はたとえば両方とも州立である"California State University"と"University of California"をどう訳し分けるつもりでしょうか)。
ということで話は面白いのに、時折現れる変な訳が気になってとことん楽しめない作品です。