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定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

出版社 角川書店
著者 吉本 隆明
発売日 2001-09

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Amazonレビュー

戦後日本人によって書かれた唯一の言語芸術についての理論書。
抽象度が高く、資本論と異なり現実の作品に上向することが困難なのが難点か。
理論的素養のない大学教員には読めないと思う。
 これほど有名でありながら、これほど何を言っているのか分からない書物というのも珍しい。吉本が言っているのは、自己表現であれば高尚で、そこから離れると藝術的価値は下がるというごく単純な文学価値論に過ぎないのだが、ひたすらそれを日本文学史に当てはめてだらだらと記述するだけで、読んで得るものはほとんどない。夏目漱石の『文学論』にも匹敵する、学理的閑文字と言うべきだろう。
浅田彰も言っているように、全く、読解不可能である。これが全共闘のバイブルであったというから、後年ソーカルが暴露したポスト・モダンにおける学問的不明瞭さを、端なくも本書はそれに先立って明示していたのかもしれない。
シンプルだがユニークで説得力のある冒頭の理論編、これを応用した日本近代文学史、構成論における「展開」「形式」など、何処を取っても面白い議論で溢れている。世界にも類が無い独創的な文学理論。しかし、文学体と話体の概念の登場は、やや唐突で、やや不親切な趣がある。理解できないわけではないが、指示表出、自己表出などのそれまでの理論の延長線として自ずと理解できるようになっているとは思えない。論文ではないからとはいえ、やはり少しくどくてもきちんと説明をしてから、応用編に進むべきだった。三浦つとむ「日本語はどういう言語か」を読んでから読むと分かりやすい。三浦の圧倒的な影響下にあったことが分かる。また、この理論は使える理論であって、批評のツールとしてもっと利用されてもよいと思う。だが、この理論だけでは、やはり「小説」には迫れない部分が残ると思う。だが、諸概念の展開という本論とは別に、「近代文学史」の諸作家の評価や「構成論」で展開される「近松」論は、それだけで魅力的な読み物で、改めて、それら著作に読者を向かわせるだけのおもしろさがある。多面的な面白さを持った「詩学」としても異例だと思う。
 学生時代に熊野の本宮から小雲取、大雲取を越えて那智へ抜ける道、つまり中辺路を初めて歩いた時のことです。鬱蒼と続く杉林をひたすら歩いて峠を越えると、いきなり眼前に真っ青な太平洋が広がっていました。それを見た僕はもの凄い開放感と感動をおぼえ、思わず唸り声を上げたのです。その時、僕は熊野信仰の原点を体感したような気がしました。
 『言語にとって美とはなにか』の中で吉本隆明氏は、初源の言葉というのは神と交流するための言魂的な呪言であった書いています。そして、「原始人が奥深い山の中を彷徨い続けたあげくに海にたどり着いた時に、感動のあまり発した「うっ!」という唸り声が「海」という語の語源であった可能性を捨てさることはできない」と書いています。
 勿論、吉本氏は言語を構造や記号として捉えることを否定しているわけではありませんが、同時にそれだけでは言語の本質には届かないとも考えています。この「うっ!」=「海の語源」という話は、言語を構造や記号としてのみとらえようとすることに対する警鐘として捉えるべきなのでしょう。
 何故か僕の中では、大雲取越えの際に山の上から熊野灘を見たときに受けた感慨と上述の吉本氏の言葉がふと重なってくるのです。