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村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)
出版社 角川書店 著者 梨木 香歩 発売日 2007-05
この本に関する書評
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Amazonレビュー
話の主な舞台は、19世紀末のトルコ、また、日本。日本人の考古学者が首都のスタンブールの外国人用下宿に滞在し、そこでのさまざまな人との出会い、狂言回しのような鸚鵡、古代文明の発掘、それらとやや不安定な世界情勢とのからみなど、もしかしたらどこかで実際にそのようなことがあったのではないかと思わせる話が前景にある。その前景のすこし奥というか、日の当たる日常のやや斜め方向から見た裏側には、市場のあやしげな占い師などともつながる不可思議な世界があった。表から見える日常生活のすぐうしろには、ほとんど有り得ない時空があり、人は表の現実の世界と裏の不思議な世界のいずれともそれぞれに縁があってつながりをもっている、いつもの梨木果歩の世界である。自分では経験していない19世紀末の雰囲気も感じられる、と言える。甘酸っぱいメルヘンとは違う、ことによったらSFとも言える、硬質のファンタジーである。
明治の時代、トルコに滞在した若い学者、村田の物語。
イギリス人の経営する下宿で、ギリシャ人やドイツ人、召使のトルコ人たちと過ごす不思議な、至福の日々。「友よ!」「いよいよ革命だ」「繁殖期に入ったのだな」などとと叫ぶおかしな鸚鵡を狂言回しに物語は進む。
留学なんかして、外国人の友達ができたら素敵だなあと、昔、漠然と憧れていた、まさしくそんな物語なのだけれど、時代と戦争が、すべてを巻き込んでゆく。
「私は人間である。およそ人間にかかわることで私に無縁なことは一つもない」という、ディミトリスの言葉に、おしまいに鸚鵡の叫ぶ「友よ!」に、涙が止まらなかった。
イギリス人の経営する下宿で、ギリシャ人やドイツ人、召使のトルコ人たちと過ごす不思議な、至福の日々。「友よ!」「いよいよ革命だ」「繁殖期に入ったのだな」などとと叫ぶおかしな鸚鵡を狂言回しに物語は進む。
留学なんかして、外国人の友達ができたら素敵だなあと、昔、漠然と憧れていた、まさしくそんな物語なのだけれど、時代と戦争が、すべてを巻き込んでゆく。
「私は人間である。およそ人間にかかわることで私に無縁なことは一つもない」という、ディミトリスの言葉に、おしまいに鸚鵡の叫ぶ「友よ!」に、涙が止まらなかった。
不思議な小説。彼女の小説は、現実と空想の境目がよく分からない。冷静に読めば、そんなことあり得ないって思うようなことも、全く不思議に感じさせない。
トルコってとっても遠い国。そこへ100年前に留学に行った青年の話だけど、とってもトルコという国に親しみを感じた。むしろ西欧よりも。宗教とか文明とか戦争とか革命って人間を狂わせるというか、逆だな、昔から人間そのものだったのだろう。100年前も今も。
いい小説だったな。
トルコってとっても遠い国。そこへ100年前に留学に行った青年の話だけど、とってもトルコという国に親しみを感じた。むしろ西欧よりも。宗教とか文明とか戦争とか革命って人間を狂わせるというか、逆だな、昔から人間そのものだったのだろう。100年前も今も。
いい小説だったな。
『家守綺譚』を読んだ後で、タイトルから、もしや…と思って、本書を手にしました。 とても面白かったです。 そうですね…なんというか、胸の奧でぶるぶると何かが揺れるような読後感でした。薄い半紙のような感情が、ぶるぶると…なんだろう。 こんな気持ちになったのは、久しぶりなのでした。
「西の魔女が死んだ」を以前読んで、もちろんとてもいい作品で大好きだったのだけれど、さして取材等は必要としない小説を書く人なのかと思っていた。
「村田エフェンディ滞土録」は1899年から始まるトルコを舞台とした時代小説で、歴史・考古学・宗教学・旧字体に至るまできっと膨大な資料を読んで書かれたのだろうと思われる。
その知識の量に圧倒された。
考古学の研究のため、トルコに訪れた日本人の村田。
下宿の所有者はイギリス人のディクソン夫人。
家事全般を担当するトルコ人召使のムハンマド。
同じく考古学者で下宿人に、ドイツ人のオットーとギリシャ人のディミトリス。
それぞれに、国籍も宗教も性格も全く異なるが、各人がその違いを尊重し合いながら暮らしている。
雑多さをそのまま受け入れる気風はトルコそのもので、日本ではなかなかみられない光景である。
割合頭の固かったディクソン夫人ですら、だんだんとトルコ式の寛容を身につけていき、雪合戦をして「世界大戦だったのです」とのたまう男衆を「悪い冗談はやめてちょうだい!」と叱る。
欧州列強がトルコを解体させて食い物にしようとしている最中、この奇跡のような平和を守りたい気持ちがあったのだろう。
願い虚しく、運命に引き裂かれた後も、その思い出は村田の胸に残り続ける。
「村田エフェンディ滞土録」は1899年から始まるトルコを舞台とした時代小説で、歴史・考古学・宗教学・旧字体に至るまできっと膨大な資料を読んで書かれたのだろうと思われる。
その知識の量に圧倒された。
考古学の研究のため、トルコに訪れた日本人の村田。
下宿の所有者はイギリス人のディクソン夫人。
家事全般を担当するトルコ人召使のムハンマド。
同じく考古学者で下宿人に、ドイツ人のオットーとギリシャ人のディミトリス。
それぞれに、国籍も宗教も性格も全く異なるが、各人がその違いを尊重し合いながら暮らしている。
雑多さをそのまま受け入れる気風はトルコそのもので、日本ではなかなかみられない光景である。
割合頭の固かったディクソン夫人ですら、だんだんとトルコ式の寛容を身につけていき、雪合戦をして「世界大戦だったのです」とのたまう男衆を「悪い冗談はやめてちょうだい!」と叱る。
欧州列強がトルコを解体させて食い物にしようとしている最中、この奇跡のような平和を守りたい気持ちがあったのだろう。
願い虚しく、運命に引き裂かれた後も、その思い出は村田の胸に残り続ける。