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フラッタ・リンツ・ライフ―Flutter into Life

フラッタ・リンツ・ライフ―Flutter into Life

出版社 中央公論新社
著者 森 博嗣
発売日 2006-06

この本に関する書評

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Amazonレビュー

この巻の主人公はクサナギの部隊のパイロット、クリタです。
相変わらず空での戦いの描写が詩的で美しく、そのリズムにドキドキします。

クリタのどこまでも純粋な、恋心のような、憧れのような感情が、
とても切なく綺麗に描かれていて素晴らしい読後感があります。

このシリーズを読んでいると、どうしても飛行機を操縦して空を飛んでみたくなってしまいます。
死ぬまでに一度でいいから、もう最高に綺麗な空を、、


...と、読んでるうちについつい現実逃避してしまうのは私だけではないはず!
癖も強いので好き嫌いは分かれると思いますが、私は星5文句なしです。
スカイクロラをはじめとするキルドレシリーズの最新刊。

相変わらず、美しい装丁だ。森博嗣の著作の中でも、S&Mシリーズの次にお気に入りのシリーズだ。

飛行機は昔から好きだった。特に空を自由に飛び回り、しかも命がけの戦闘を行う戦闘機が大好きだった。

このシリーズは、大人にならないキルドレの飛行機乗りの話。草薙を主人公とする一連の話は、設定もよく分からないけど、余白の多い小説だけど、詩的な話だけど、なぜか惹かれる。
戦闘機を操縦しているシーンの描写が長く続くところがあったが、あまりイメージできなかったので、この部分については適当に読み飛ばして読んだ。

全編を通じてこの作品に込めた森博嗣の生命に対する哲学が感じられたので読んでよかったと思っている。だから4つ星にした。

ただし、物語の終盤では主人公の言葉を借りて作者自身が戦争(というよりも戦闘行為)に対する持論を展開しているが、この重要なポイントで全く共感することができなかったこともあり、あまり好きな作品とは言えない。

世の中には戦争に直接関わる人間や実際に戦闘行為をする側から語る映画や小説がたくさん存在するが、これら多くの作品に共通して言えることは、彼らには戦争の大義名分だとか政治的な意味とは関係ないところに自分の行為に対する確固たる動機があるということである。

主人公や草薙水素にとって戦争とは空を自由に飛ぶことなのだそうだ。
「人は力を持っている。力に憧れている。力が欲しい。それが自由だと知っているからだ。・・・僕は飛べる。それが僕の力であり、自由なのだ。そして飛び続けるために、僕は戦う。・・・」と述べている。俺は正直こんな考えの人間が嫌いだ。

自らの刹那的な開放感や自由のために、人間は生きているのではない。自分の行為がどのように世の中に波及効果を与え、生存する人々やバトンタッチをする後世の人々のためにどのような世の中を実現していくのか・・・、それを想像する知性がなくなったら、人間は野獣同然である。なんだか自由を振りかざして権利ばかりを主張して暴れまわった全共闘世代の若者の論理のようで全く共感できなかった。

でも逆に言えば、クリタがキルドレであり、永遠の生命を持つ体であることがそのような思考を不可能にしている、つまり逆説的に生命が有限であることこそが戦争回避への一つの道筋であるとでもいいたかったのだろうか?俺にはそれを読み取ることはできなかった。
傷つかないようにして生きていくためにどんどん鈍くなっていく。
ぶあつい殻に包まれて自分がどんな形をしているのか分からなくなった。
摩擦がないように生きていく、周りに適応してい生きていく、
そんなことを考えているうちに自分が行きたい方向も見えなくなった。

生きるためだけに生きる。シンプルなことなのに。
瞬時の判断で飛ぶ方向を見定めるパイロットは飛ぶために飛んでいる。シンプルに。
自分のために生きている、と言いたい。誰かに言うのではなくて、
自分に対して正直にそう言えたらいい、と思った。

会いたいと思うこと、生きていてほしいと思うこと
自分がその人に影響するか否かに関わりなく
その気持ちを言葉で定義したくない
それは生きていくことと同じくらい切なくなるものだと思う。

21世紀に蘇った『かもめのジョナサン』とも云えるのではないか。
SF的なキャラクター設定を採りながらも、
本シリーズの中身は、実は純文学である。

他人を痛いまでに希求する寂しさを
大空の透明な孤高で昇華する主人公たちに
私たちが果たせない孤独の処理を託してしまう、そんな物語だ。

本書は第四巻ではあるが、
時間軸的には第三巻にあたる。
シリーズを通した主人公、クサナギの
パイロット後期時代が描かれている。

管理職に出世したクサナギを語り手から外し
同じキルドレのクリタに語り手を変えている。
これにより、クサナギのより透明な人物像と
苦悩が深く表現されている。