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もう牛を食べても安心か (文春新書)

もう牛を食べても安心か (文春新書)

出版社 文藝春秋
著者 福岡 伸一
発売日 2004-12

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Amazonレビュー

私は幼い頃、教科書のダブルスタンダードに悩んだ。同じ科学の教科書だ。もうちょっと子供向けの文書だったが、大体次のようなことが書いてあった。

・細胞は生き物の最小単位で、膜で包まれていて真ん中には核があります。

・すべての物質は元素からできており、これ以上分けることができないものです。

どっちが一番小さいんだよ!世界の中で一番小さいのはどっちなんだよ!と幼い私は悩んで教科書を何度か読み返した。すると文書の中で、「生き物の最小単位」と「物質」とが違うことに気付き、「じゃあ細胞は元素から出来ているんだな」と科学の先生に噛み付いたが科学の先生はうまく説明してくれなかった記憶がある。そして教科書や参考書を調べまわっても、細胞と元素との関係を記した記述はなかった。

時は数十年経ち、私の中では「細胞は元素で出来ているはず、焼いたらこげるし人間は水で出来ているというからH, O, Cあたりでできているんちゃうやろか」というレベルの推測のままこの本を読んだ。
過去の私の持っていた認識について、もっと衝撃的なことが書いてあった。

「代謝回転は、細胞レベルではなく、その細胞を構成している分子のレベルで絶え間なく生起し続けているのだ」

確かに細胞は分裂して増殖していき古くなったら死ぬ。でもその細胞自体が常に作り替えられている!
このショッキングな事実は、化学の授業で習った同位体を元に僅か数ページで平易に解説されてしまった。

高校までならってきた物理、化学の知識を借りて読むとなおさらおもしろい本であり、敢えて言えばこのような平易かつ分かりやすい教科書があれば自分が理系の道を捨てることはなかったのではないかと思う。

ただ、シェーンハイマーの個人的な生い立ちにまでページを割く必要があったのかが疑問なので4つ★。
まずこの本を読む前に著者の「生物と無生物のあいだ」を読まれることをお勧めします。
本書内でも触れられている「動的平衡」やその発見の歴史などがより詳しく書かれているので、
より良い理解を得られることでしょう。

さて、本書ですがタイトルは著者の希望通りだったかどうかは疑問です。
当時の政治的懸念事項であった狂牛病をタイトルにつけることによって
売り上げを伸ばそうとした出版社側の憶測を感じます。

本書は確かに狂牛病をテーマにした本ですが、
その内容は分子生物学を学ぶにあたって避けては通れない、
政治的・倫理的な問題を実にうまく提起しています。
狂牛病発生までの過程をドキュメンタリー的に追跡することによって、
人間が犯してきたおろかな間違いや判断を指摘しています。
もちろん著者の意見が読者の賛同を得られるかどうかはわかりませんが、
私は納得・賛同します。

今日、どうして狂牛病が人類に脅威を及ぼすような世界になったのか?を
著者のわかりやすく、テンポの良い日本語を通して考えてみてください。
人間は何故、タンパク質を摂取し続けなければ

ならないのか?

食物を消化するとは、どんな意味をもった行為

なのか?

これらの問いへのアプローチがスリリング!!

そして、生物とはタンパク質の循環・流れの

中にある「淀み」である、という考え方が

紹介されています。

本書で書かれていることが、「本当」であるか

否かは判断できないのですが、

考え方、物の見方としては、

かなり衝撃的で、世界観がひっくり返される

といっても過言ではありません。

松永和紀氏の食品報道に関する一連の著作や中西準子氏らのリスク
評価の著作を読んで、BSE問題については「全頭検査なんて無駄なん
じゃねぇの?そうそうヘビーなリスクでもねぇし、コストがでけぇよ」
とか思ってました。
あら、でも、BSEに関しては、そうした冷静なリスク評価ができるほど
には、いろんなことが解明されているわけじゃなかったんですね。

うひー。
知りませんでした。さー、どーなんでしょ??

さて、そうした具体的な研究のアウトプットの基礎となる理屈はどうか
といえば、還元論ではなく物的に構造化された相互関係が問題にされて
いて、いってみれば、形相的な同一性に探求の照準が絞られていまして、
自分の立場としては非常に近しいものを感じつつ、実験の設計や実験そ
のものの技術的な可能性評価、および実験結果の評価に、どう適用して
いくのか確実ではない部分が多いようにも思われ、激しく保留です。

一方、BSEの病理学的論争の背景に隠れて、その英国における蔓延には、
非常に杜撰でお粗末な社会的プロセスがあったわけで、そう言われてみれ
ば、そりゃリスク評価以前の話しだよね、とは思いました。
昨今の食品偽装報道を見ても、どーも、冷静な科学的根拠に基づいたリス
ク評価よりも、もっと当たり前の社会的プロセスに不備があるっぽいので、
やっぱり牛はまだ危険だろ、と思うことにします。
「生物と無生物のあいだ」がおもしろかったので、
福岡氏の他の著書を、と思って手に取って見た。
本書は狂牛病問題についての論考で、論点はおおきく以下の3点。

・狂牛病蔓延の経緯と動的平衡論からみた狂牛病の意味
・病原体とされるプリオン仮説への疑義
・全頭検査緩和策への警鐘

動的平衡論からみると、狂牛病は「環境からの報復」であるという。
すなわち、

 ・環境と生命は「分子の流れ」によって直接つながっている。
 ・いわば生命は分子レベルで見れば「実体」というよりも「流れの中の淀み」である。
 ・草食動物の牛に、羊や牛の死体から作った飼料を与えることは、
  この分子の流れに対する人為的な介入である。
 ・その結果「流れ」のあり方が変化し、それが狂牛病という形で露出した。
 ・分子の流れへの介入によって得た効率は負のエントロピーであり、
  環境のどこかでそれ以上のエネルギーが失われている。
 ・狂牛病はその意味で負のエントロピーの代償であるともいえる。

ちょっと聞くと宗教がかっているようにもとれるが、
本書を読めば解釈としては、十分説得力がある。
環境と分子の流れを人為的に変えてしまう、という意味で、
臓器移植にも著者は疑義を唱える。なかなか興味深い観点である。

全頭検査が緩和され、アメリカ牛は2007年から輸入再開されたが、
福岡氏の主張はいまも生きている。
単に食品として安全か、というだけではなくて、
人間には何が許されていて、何が許されないのか、という意味でも
考えさせられる一冊であった。