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楽園への道 (世界文学全集 1-2) (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集1)

出版社 河出書房新社
著者 マリオ・バルガス=リョサ
出版日 2008-01-10
書評
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「楽園遊び」のかなしみ
文学の最先端はいま、南米にあるらしい。
欧米や日本ではよってたかって暴きつくされてしまった神秘や熱狂、地下ふかくに沈められたエネルギーが、かの土地にはまだ無限に残っているのかもしれない。
バルガス=リョサはペルー生まれの作家。
本書は、池上夏樹が個人編集した世界文学全集の2冊目に選ばれている。

パリをはなれ、楽園をもとめてはるかタヒチへ移り住んだ画家、ポール・ゴーギャン。
その祖母で、今でいう社会主義者の先駆となったフローラ・トリスタン。
ふたりの人生のクライマックスが、いくつかの章にわかれ、交互に語られる。
ゴーギャンはタヒチへ渡り、パリに戻り、ふたたび海を渡ってさらに奥地のマルキーズ諸島へ。
フローラは何かにとりつかれたようにフランスの町から町へ、労働組合の必要を説く演説をして回る。
並行する語りが交わることはないけれど、ふたつの物語は思わぬ地点で呼びかけあい、響きあい、次第にあるひとつのリズムを刻みはじめる。

その「リズム」に大きく影響しているのが、独特の文体。
いま、日本や欧米で書かれる小説のほとんどは、一人称もしくは三人称で語られるけれど、「楽園への道」は二人称、作家がゴーギャンやフローラに語りかけるかたちをとっている。
解説によると、著者は騎士道小説(「ドン・キホーテ」はそのパロディで有名)に影響を受けてこの文体を選択しているらしい。
ともあれ二人称の文体で、説教がましくならず小説を最後まで引っ張っていくには、高度な技術とセンスを要する。日本語でも、スペイン語でも同じだろう。
その上、最後まで途切れないすさまじい吸引力と、全体性。綿密で根気づよい取材にもとづく、圧倒的なリアリティ。
この作家にとって小説はただの娯楽でなく、政治であり、命がけの事業なのだろう。
楽園はどこにある
打ちのめされました。
うたい文句の「ポール・ゴーギャンと彼の祖母のたたかい」に何の疑いもなく読んでゆきました。南の島に渡ったポール、そしてフランスで戦う祖母。
彼らは強い。たぶん、我々日本人が彼らのメンタリティに敵うかどうかすらわからないほどに強い。
本書が21世紀になってから書かれた本だと知ったときはもっと打ちのめされた。こんな素晴らしい小説が60代のバルガス=リョサが書いたなんて。
タイトルこそ「楽園への道」(原題の直訳ではありません。念のため)ですが、果たして主人公二人に「楽園」はやってくるのか、まったくわからない。それだけならまだいい。フローラ・トリスタン(ゴーギャンの祖母)は、「楽園」もくそもなく、戦いながら若くして死んでしまった。ポール・ゴーギャンには、ひょっとしたら、「楽園」を感じられたかもしれないが。
私は、フローラ・トリスタンの報われない戦いと虚しい死に、徹底的に打ちのめされた。まさしく「正直者は馬鹿をみる」(フランスにこのようなことわざがあるかどうかはわかりませんが)がごとき死。
マリオ・バルガス=リョサはどこまでもクールだ。ゴーギャンの南の島での生活も、フローラの犬死がごとき生涯も、クールな視線で描いている。それがゆえ、私は徹底的に打ちのめされた。ペルー生まれの(60代の)バルガス=リョサにとっては、彼自身が経験したであろう、厳しい現実を、ただ書いただけなのである。
19世紀のフランスでも、やはり女性差別はあった。それを上っ面だけ書くのではなく、個人のたたかいとして、バルガス=リョサは書ききった。まるで19世紀のフランスに転生して、フローラにのりうつったがごとく。素晴らしい。
ゴーギャンの生涯だってそうだ。ゴーギャンは本を残したが、ただそれを読んだだけ、とは思えないほど、緻密な描写である。
絶対に購入して読んで、損をすることはない。そして打ちのめされて欲しい。かつて、クラッシュのヴォーカル、ジョー・ストラマーが言ったように、「今ある自由は、これまで人々が戦って得た自由なんだ。それを知らない奴が多すぎる」と、感じて欲しい。
「文学全集」なのに、読みやすくおもしろい!
家族を捨ててタヒチへ渡り、少女との淫行を重ね、キリスト教を批判し、芸術作品を書いたゴーギャン。
夫を捨てて(当時はそれだけで罪)、女性解放運動、労働組合組織という運動に身を投じる(当時はキリスト教会を超える集団をつくろうとしただけで罪)フローラ・トリスタン。彼らは孫と祖々母の関係である。
彼らに共通しているのは、「まわりの空気を読めないこと」−反社会性といった方がいいかな−。しかし、どちらもそうだが、彼らの足跡は燦然と輝く。「彼らにとって大切なものは、祖国ではなく人類だった。彼らにとって正義と自由は単にフランス人のためのものではなく、人類のためだった」 彼らの考えは当時の習慣にとらわれず、普遍的だった。だから、苦悩も大きい。
文学として思いテーマを描きながらも、場面展開がはやくストーリーもしっかりしている、質のよい映画を見ているような感覚になる。リサーチのために、タヒチにも行っているようで、タヒチ文化の描写も詳しい。人物描写もすばらしい−ときどきでる二人称がひきたててくれる−。歴史小説として読んでも質が高い(大半はフィクションらしいが)。

「文学全集」の固いイメージにとらわれず、エンターテイメント性の高い小説として軽い気持ちで読むことができました。

旅をした気分
とにかく面白かったです。
個人的にはガルシア=マルケスの「百年の孤独」より、こちらの方が断然好きです。
ゴーギャンとフローラ・トリスタンの夢見る楽園は、全く別の種類ですが、
どちらも自分の人生に情熱を持って生きていたんだと実感できました。
フローラ・トリスタンのエピソードは、歴史の重みを感じ、
ゴーギャンのタヒチやマルキーズ諸島のエピソードで、旅をしている気分も味わえました。
久々のヒットです。
「いいえ、楽園は次の角ですよ」
フローラ・トリスタン(祖母)とポール・ゴーギャン(孫)の二人の話が、交互に語られる形式で物語は進行します。語りは、時々、親しみを込めて二人に呼びかけます。

「スカートをはいた扇動者」フローラ・トリスタンと「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャンに血の繋がりがあるとは、初めて知りました。

この物語を一言で語る言葉があります。
「ここは楽園ですか」
「いいえ、楽園は次の角ですよ」

二人は、共に「楽園」を求めて精力的な生き方をしたのでしょう。家族も捨て、身体の不調にも耐えて。
トリスタンは、人間社会に「ユートピア」を求めて、ゴーギャンは、生命力に満ちた豊かな芸術の追求の先に「楽園」を求めて、一途に生きて行きます。

この二人の純粋さに驚かされます。
普通に生きれば、二人とも豊かな生活が保障されていたでしょう。
それなのに、周りの環境や人間関係をすべて捨ててまで求めた「楽園」は、決してたどり着ける場所ではなかったものです。それを承知で求め続けた二人の壮絶な生き方に敬意を表します。
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