情報
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存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)
出版社 河出書房新社 著者 ミラン・クンデラ 発売日 2008-02-09
この本に関する書評
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4人の主たる登場人物のうち、いちばん共感したのがフランツ。社会正義への憧憬から戦地での医療救助隊に参加し、そこで頓死というのが笑い、かつ泣ける。
その死の意味さえも元妻の世間でのアピール材料になってしまう悲喜劇ないまぜ状態は筒井康隆やカート・ボネガットにも負けないスラプスティック。
もちろんそれ以外の要素も満載であるが、こうした視野の広さがあるところがこの小説の魅力であろう。
ところで著者名をずっと「グランデ」だと思っていた。
その死の意味さえも元妻の世間でのアピール材料になってしまう悲喜劇ないまぜ状態は筒井康隆やカート・ボネガットにも負けないスラプスティック。
もちろんそれ以外の要素も満載であるが、こうした視野の広さがあるところがこの小説の魅力であろう。
ところで著者名をずっと「グランデ」だと思っていた。
この本についておおまかには、みなさんが書いておられるように
難解で、哲学的で、でも途中で読むことを放棄したくなるような本ではないということ。
なので、私が言いたいことはひとつ。
映画を見て、なんか心打たれたけれども、
「結局何が重くて何が軽かったんだろう」
と思ったら読んでください。
きっと、映画を見た後以上に豊かになります。
難解で、哲学的で、でも途中で読むことを放棄したくなるような本ではないということ。
なので、私が言いたいことはひとつ。
映画を見て、なんか心打たれたけれども、
「結局何が重くて何が軽かったんだろう」
と思ったら読んでください。
きっと、映画を見た後以上に豊かになります。
世界文学全集の第3弾。以前、集英社版で読んだのは何年前だったのだろうか、改めて読んで、とっても感動した。
トマーシュ、テレザ、ザビナ、フランツといった登場人物がそれぞれの人生を生きていく中で、歴史や政治に翻弄されながら、人間の愛情のあり方、尊厳とは何かを描く。
自分が年齢を重ねたせいか、以前読んだ時よりも、彼らの生きざまが深く心に沁みた。
特にザビナは魅力的だ。
「彼女は友人たちに言いたかった、共産主義、ファシズム、あらゆる占領や侵攻にはもっと根本的で普遍的な悪が隠されている、その悪のイメージ、それこそまさしく腕を振りあげ、声をそろえて同じ音節を叫びながら更新する行列のイメージなのだと」
っていう感じ、よく分かるな。
ジャンルとしては恋愛小説なんだろうけど、もっと重い小説だ。
トマーシュ、テレザ、ザビナ、フランツといった登場人物がそれぞれの人生を生きていく中で、歴史や政治に翻弄されながら、人間の愛情のあり方、尊厳とは何かを描く。
自分が年齢を重ねたせいか、以前読んだ時よりも、彼らの生きざまが深く心に沁みた。
特にザビナは魅力的だ。
「彼女は友人たちに言いたかった、共産主義、ファシズム、あらゆる占領や侵攻にはもっと根本的で普遍的な悪が隠されている、その悪のイメージ、それこそまさしく腕を振りあげ、声をそろえて同じ音節を叫びながら更新する行列のイメージなのだと」
っていう感じ、よく分かるな。
ジャンルとしては恋愛小説なんだろうけど、もっと重い小説だ。
哲学小説だ。
とはいっても、前提知識は高校倫理をかすかに記憶していれば十分。
存在や人生や決断や歴史などの「軽さと重さ」を最大のテーマとしつつ、「心と体」「行進と裏切り」などの二項対立をサブテーマにし、さらに「キッチュ」という重要な概念も出てきて、それらが絡まり合う。
作中の誰がどの項目に対応するのか、どの項目を行ったり来たりして行動しているのか、それらはどのように関係を結んでいるのか、読者は考えることを要求される。
考えることに慣れていなかったり、読書するのに頭を使うのが嫌いな読者には辛い。
だが考える面白さを知っている読者には、この上もなく楽しめる。
丹念に読めば一読でもアウトラインをつかめるが、詳細に分け入るために二読・三読の誘惑に駆られる。
さらに理解が進めば、作者とは違うアプローチで同じ問題を考える誘惑にも駆られる。
左翼神話だけではなく、キッチュという点では右翼も含めあらゆる欺瞞が批判される。
さらに、人間存在の考察も深く、ソ連崩壊後の現代でもこの小説は価値を失っていない。
棺まで持って行きたい本の一つ。
とはいっても、前提知識は高校倫理をかすかに記憶していれば十分。
存在や人生や決断や歴史などの「軽さと重さ」を最大のテーマとしつつ、「心と体」「行進と裏切り」などの二項対立をサブテーマにし、さらに「キッチュ」という重要な概念も出てきて、それらが絡まり合う。
作中の誰がどの項目に対応するのか、どの項目を行ったり来たりして行動しているのか、それらはどのように関係を結んでいるのか、読者は考えることを要求される。
考えることに慣れていなかったり、読書するのに頭を使うのが嫌いな読者には辛い。
だが考える面白さを知っている読者には、この上もなく楽しめる。
丹念に読めば一読でもアウトラインをつかめるが、詳細に分け入るために二読・三読の誘惑に駆られる。
さらに理解が進めば、作者とは違うアプローチで同じ問題を考える誘惑にも駆られる。
左翼神話だけではなく、キッチュという点では右翼も含めあらゆる欺瞞が批判される。
さらに、人間存在の考察も深く、ソ連崩壊後の現代でもこの小説は価値を失っていない。
棺まで持って行きたい本の一つ。
この物語自体は、1988年に公開されたフィリップ・カウフマン監督の映画で知っていました。
映画では、プレーボーイの医者トマーシュに田舎娘テレザと画家のサビナの奇妙な三角関係が、<プラハの春>からソ連軍の侵攻という時代を舞台に描かれていました。
今回本書を読んで驚いたのは、題名の通り非常に哲学的な部分が多々あったことです。この部分への理解があってこその作品だとは思うのですが、なかなか完全に理解するところまでは行きませんでした。
従って、トマーシュとテレザの二人の主人公の物語として読み進んだという結果になりました。
何人もの女性を相手にしているトマーシュは、テレザを「特殊」な存在として認識し、その領域には他の女性は入りえないという風に感じています。従って、二人の関係は相思相愛のように見えながら、互いにそうした関係に疑問を持ちながら暮らしています。
そして、ソ連軍の侵攻からプラハを立ち去りスイスへ。しかし、又プラハに戻り、更に田舎へ。
チェコという国が、大国に翻弄された歴史の中に存在したように、彼らの人生も翻弄されます。
ただ、そこには彼らの「決断」も介在しています。この「決断」が、人生の「軽き」に向かったのか、「重き」に向かったのかは、一度しかない人生にとって、結果論でしょう。
ただ、この二人の関係は傍から見れば、魅力的な関係に見えます。本人たちがどう思っていようとも。
この本も魅力は、登場人物たちの魅力と、アイロニーに溢れる文章、そして、行きつ戻りつしながらも、リズミカルな物語の展開でしょう。
話だけを楽しむのであれば、哲学的な部分は邪魔かも知れませんが、それでも楽しめる小説であり、哲学的な部分がもっと理解できれば、その分、楽しみも大きくなるような、そんな小説のような気がします。
映画では、プレーボーイの医者トマーシュに田舎娘テレザと画家のサビナの奇妙な三角関係が、<プラハの春>からソ連軍の侵攻という時代を舞台に描かれていました。
今回本書を読んで驚いたのは、題名の通り非常に哲学的な部分が多々あったことです。この部分への理解があってこその作品だとは思うのですが、なかなか完全に理解するところまでは行きませんでした。
従って、トマーシュとテレザの二人の主人公の物語として読み進んだという結果になりました。
何人もの女性を相手にしているトマーシュは、テレザを「特殊」な存在として認識し、その領域には他の女性は入りえないという風に感じています。従って、二人の関係は相思相愛のように見えながら、互いにそうした関係に疑問を持ちながら暮らしています。
そして、ソ連軍の侵攻からプラハを立ち去りスイスへ。しかし、又プラハに戻り、更に田舎へ。
チェコという国が、大国に翻弄された歴史の中に存在したように、彼らの人生も翻弄されます。
ただ、そこには彼らの「決断」も介在しています。この「決断」が、人生の「軽き」に向かったのか、「重き」に向かったのかは、一度しかない人生にとって、結果論でしょう。
ただ、この二人の関係は傍から見れば、魅力的な関係に見えます。本人たちがどう思っていようとも。
この本も魅力は、登場人物たちの魅力と、アイロニーに溢れる文章、そして、行きつ戻りつしながらも、リズミカルな物語の展開でしょう。
話だけを楽しむのであれば、哲学的な部分は邪魔かも知れませんが、それでも楽しめる小説であり、哲学的な部分がもっと理解できれば、その分、楽しみも大きくなるような、そんな小説のような気がします。