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カール・マルクス (光文社文庫)
出版社 光文社 著者 吉本 隆明 発売日 2006-03-14
この本に関する書評
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Amazonレビュー
これまでのカール・マルクス本が
肌に合わないからと、吉本隆明自身が解説したモノ。
カール・マルクス入門書ではないので、
非常に読み難かった。
自分で喋っているコトが、自分でも理解できていない
哲学の先生が授業をしているような文章
抽象的過ぎる表現に追いつけなかったウェブ担当が悪いのか。
文章表現の迷宮に入り込んでしまった作者が悪いのか。
自ら資本を創り出せなかったマルクスに
経済学うんたらって言われたくねーわな・・・
(カール・マルクスについては不勉強でありますが、書きたかった)
「人間は社会的にと政治的にと二重に生活する。
社会的な生活では具体的に
私的に、他人を食ったり食われたり 〜中略〜
政治的な生活では、あたかも公的な
共同的な一員であるかのように生活する」
このコトは、後世のマーケティングやリサーチ結果でも明らかになりましたが、
個を探ると奥が深すぎるが、集団という単位で計測すると、あまり深さは無く
予測も容易であることを内包している。
「つまらぬ本を書いて、同類の
箸にも棒にもかからぬ連中に褒めそやされても、
自惚れるべきではない。
批判に価しないから批判しないだけだ、
ということも、この世にはありうるのである。」
仕事にしても性格にしても、自分の不足分は、自分がよく知っているハズ。
まわりの言葉を鵜呑みにしないように心がけたい。
肌に合わないからと、吉本隆明自身が解説したモノ。
カール・マルクス入門書ではないので、
非常に読み難かった。
自分で喋っているコトが、自分でも理解できていない
哲学の先生が授業をしているような文章
抽象的過ぎる表現に追いつけなかったウェブ担当が悪いのか。
文章表現の迷宮に入り込んでしまった作者が悪いのか。
自ら資本を創り出せなかったマルクスに
経済学うんたらって言われたくねーわな・・・
(カール・マルクスについては不勉強でありますが、書きたかった)
「人間は社会的にと政治的にと二重に生活する。
社会的な生活では具体的に
私的に、他人を食ったり食われたり 〜中略〜
政治的な生活では、あたかも公的な
共同的な一員であるかのように生活する」
このコトは、後世のマーケティングやリサーチ結果でも明らかになりましたが、
個を探ると奥が深すぎるが、集団という単位で計測すると、あまり深さは無く
予測も容易であることを内包している。
「つまらぬ本を書いて、同類の
箸にも棒にもかからぬ連中に褒めそやされても、
自惚れるべきではない。
批判に価しないから批判しないだけだ、
ということも、この世にはありうるのである。」
仕事にしても性格にしても、自分の不足分は、自分がよく知っているハズ。
まわりの言葉を鵜呑みにしないように心がけたい。
1 疎外という言葉の由来が、心理学、力学的な
観点にある、との指摘のようである。
2 そこから、経済、依存、弱者救済の方途を
さぐる旅のように思える。
3 難解だが、現代に通じる視座だといえる。
観点にある、との指摘のようである。
2 そこから、経済、依存、弱者救済の方途を
さぐる旅のように思える。
3 難解だが、現代に通じる視座だといえる。
最初に本書を読み始めてすぐに挫折し、今村仁司の「マルクス入門」(ちくま新書)を読んでから再チャレンジして、やっとマルクスの面白さに気付き、近年にない知的興奮を味わっているところです。
マルクス、フォイエルバッハなど、ヘーゲルをルーツとする一派には独特のロジック回しがあって、相当に意識を集中して読まないと、今日の日常的な日本人の論理意識では理解しづらいところがあるのは事実です。あと「止揚」「疎外」などの独特の用語!「市民社会」といった一般化した用語にしても、実は厳密に概念を把握しないと置いてけぼりを喰らうことになります。吉本自身にも妙な言葉遣いのクセがあるので、さらに注意が必要です。
要するに「慣れ」の問題ではあるのですが、ちょっと我慢してこうした論法に少しずつ馴染んでいけば、ある段階から物凄く触発力・飛躍力・応用力のあるグレートな思想であることがわかってきます。頑張るだけの甲斐はあるので、ぜひ皆さん、マルクスにチャレンジしてみてください。
さて本書の中身ですが、古代ギリシャの自然哲学から学究生活を開始したマルクスが、「生命現象や精神活動の根源にある『霊魂』は一種の物質(アトム)であり、それらが人間の身体を出入りする運動を行っている」という説(唯物論)にインスパイアされて、ヘーゲルの「疎外」という概念を改鋳・拡張し、そこからA.自然と人間の相互関係(=労働)、B.人間の幻想性の外化(=宗教・国家・法の成立)にまで発展させ、それらとC.市民社会(=経済生活や言語コミュニケーションの総体)との関係性を、三位一体的に緊密に把握しながら思想を展開したことが述べられています。
例えば、「宗教・国家・法」を共通の幻想の体系として理解すると、古代エジプト・中国・日本のような「首長=司祭・神官」体制や、現在のイスラム国家の「祭政一致」についても、なぜこのようなものが存在するのかが改めて腑に落ちます。白川静は「古代中国における文字(甲骨文=漢字=コミュニケーションツール)の発生は、絶対王朝(宗教国家)の登場を待たなければならなかった」と述べていましたが、本書の解説で中沢新一が「個人の幻想性が外化・平準化されるためには必然的に言語コミュニケーションに変換される必要性がある」という意味のこと述べているのと全く同じだと思いました。
本書が書かれたのは1964年(昭和39年)であり、当時幅を利かせていた<マルクス主義>を自称するソヴィエト・東欧の官僚国家や各種党派的集団に対して、吉本が断固無効性を主張している点も先駆的だったものと思われます。
あと私事ながら、今回、勤務先の会社からとある中央省庁に出向し一課長補佐として奉職することが決まったのですが、「官僚制の弊害はなぜなくならないのか?」「なぜ掛け声ばかりで“小さな政府”は実現しないのか?」といったことについて当事者として考える上でも、本書からはたくさんヒントをもらいました。その意味で、マルクスは全く古びてもいないし、非常に実用的な思想なのだと感じています。
マルクス、フォイエルバッハなど、ヘーゲルをルーツとする一派には独特のロジック回しがあって、相当に意識を集中して読まないと、今日の日常的な日本人の論理意識では理解しづらいところがあるのは事実です。あと「止揚」「疎外」などの独特の用語!「市民社会」といった一般化した用語にしても、実は厳密に概念を把握しないと置いてけぼりを喰らうことになります。吉本自身にも妙な言葉遣いのクセがあるので、さらに注意が必要です。
要するに「慣れ」の問題ではあるのですが、ちょっと我慢してこうした論法に少しずつ馴染んでいけば、ある段階から物凄く触発力・飛躍力・応用力のあるグレートな思想であることがわかってきます。頑張るだけの甲斐はあるので、ぜひ皆さん、マルクスにチャレンジしてみてください。
さて本書の中身ですが、古代ギリシャの自然哲学から学究生活を開始したマルクスが、「生命現象や精神活動の根源にある『霊魂』は一種の物質(アトム)であり、それらが人間の身体を出入りする運動を行っている」という説(唯物論)にインスパイアされて、ヘーゲルの「疎外」という概念を改鋳・拡張し、そこからA.自然と人間の相互関係(=労働)、B.人間の幻想性の外化(=宗教・国家・法の成立)にまで発展させ、それらとC.市民社会(=経済生活や言語コミュニケーションの総体)との関係性を、三位一体的に緊密に把握しながら思想を展開したことが述べられています。
例えば、「宗教・国家・法」を共通の幻想の体系として理解すると、古代エジプト・中国・日本のような「首長=司祭・神官」体制や、現在のイスラム国家の「祭政一致」についても、なぜこのようなものが存在するのかが改めて腑に落ちます。白川静は「古代中国における文字(甲骨文=漢字=コミュニケーションツール)の発生は、絶対王朝(宗教国家)の登場を待たなければならなかった」と述べていましたが、本書の解説で中沢新一が「個人の幻想性が外化・平準化されるためには必然的に言語コミュニケーションに変換される必要性がある」という意味のこと述べているのと全く同じだと思いました。
本書が書かれたのは1964年(昭和39年)であり、当時幅を利かせていた<マルクス主義>を自称するソヴィエト・東欧の官僚国家や各種党派的集団に対して、吉本が断固無効性を主張している点も先駆的だったものと思われます。
あと私事ながら、今回、勤務先の会社からとある中央省庁に出向し一課長補佐として奉職することが決まったのですが、「官僚制の弊害はなぜなくならないのか?」「なぜ掛け声ばかりで“小さな政府”は実現しないのか?」といったことについて当事者として考える上でも、本書からはたくさんヒントをもらいました。その意味で、マルクスは全く古びてもいないし、非常に実用的な思想なのだと感じています。
評者は遅れに遅れてやってきた吉本派を自任する者である。それゆえ、吉本の懐深い思索の仕事に対して満腔の敬意を表すること人後に落ちないと考えている。しかし、それは全てを理解しているということでは残念ながらない。評者の場合もそうだが、世に「吉本教」信者といわれるものだ。
20数年前、本書の原本(原本に近い?)であった勁草書房版吉本全集の『カール・マルクス』を繙いた。『ドイツイデオロギー』や『経哲草稿』他のマルクス書をほとんど読んでいなかったこともあって、その文学的な中身に大いに悪影響を受けたと今では思っている。
「マルクス紀行」と「マルクス小影」が、まずイケナイ。中沢新一が世界一深いと褒め倒す部分が一番イケナイ。「重苦しい政治の季節をくぐり抜けること」を気分的にあるいは文学的に軽減する文体が致命的にイケナイのだと今は(いまだに)直感する。
本書レビューを見ていると、レビュアーは皆吉本派のように見える。おそらく吉本派以外は相手にしていないのが本書なのではないか。
東大時代にレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』を翻訳して吉本に届けたという橋爪大三郎はもう一人の吉本派であるが、かれはマルクスから疾うに離れている。では、吉本的マルクスからも離れているのか。多分、離れているのだ。
本書の理論的な部分は難解だ。はっきり言って何を言っているのか評者には理解できない。主要部分をなす「マルクス伝」のもとに展開される部分、まずなぜ伝記から理論的な解説がなされるのか。理論的言説の一つひとつの当否は、評者には手におえない。
しかし、ひとつ言えそうなことがある。本書は小林秀雄の甚大な影響の下に書かれたのではないかということだ。小林には「マルクスの悟達」というエッセイがある。小林は勿論、反マルクス派だ。その点では吉本とは正反対ということになろう。しかし、そのテイストが、書き方のスタイルが、似ているように思われるのだ。吉本は小林秀雄に夢中だったのではないか?
☆2つは吉本派としての宗教心のゆえである。本来は・・・・。
と、書いたが、少し追記する。今回、もう一度読んでみて、不明部分を再三読み返してみると、次の2点がやはり評価すべきではないかと思われた。
フォイエルバッハの認識がマルクスと紙一重のレベルにあったということ。
マルクスの思想の経歴に、「認識論的断絶」などなかったということ。
この2点は、誠に重要な問題であると、改めて思いなおした。そうすると本書の評価はもっと上げなければならない。
20数年前、本書の原本(原本に近い?)であった勁草書房版吉本全集の『カール・マルクス』を繙いた。『ドイツイデオロギー』や『経哲草稿』他のマルクス書をほとんど読んでいなかったこともあって、その文学的な中身に大いに悪影響を受けたと今では思っている。
「マルクス紀行」と「マルクス小影」が、まずイケナイ。中沢新一が世界一深いと褒め倒す部分が一番イケナイ。「重苦しい政治の季節をくぐり抜けること」を気分的にあるいは文学的に軽減する文体が致命的にイケナイのだと今は(いまだに)直感する。
本書レビューを見ていると、レビュアーは皆吉本派のように見える。おそらく吉本派以外は相手にしていないのが本書なのではないか。
東大時代にレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』を翻訳して吉本に届けたという橋爪大三郎はもう一人の吉本派であるが、かれはマルクスから疾うに離れている。では、吉本的マルクスからも離れているのか。多分、離れているのだ。
本書の理論的な部分は難解だ。はっきり言って何を言っているのか評者には理解できない。主要部分をなす「マルクス伝」のもとに展開される部分、まずなぜ伝記から理論的な解説がなされるのか。理論的言説の一つひとつの当否は、評者には手におえない。
しかし、ひとつ言えそうなことがある。本書は小林秀雄の甚大な影響の下に書かれたのではないかということだ。小林には「マルクスの悟達」というエッセイがある。小林は勿論、反マルクス派だ。その点では吉本とは正反対ということになろう。しかし、そのテイストが、書き方のスタイルが、似ているように思われるのだ。吉本は小林秀雄に夢中だったのではないか?
☆2つは吉本派としての宗教心のゆえである。本来は・・・・。
と、書いたが、少し追記する。今回、もう一度読んでみて、不明部分を再三読み返してみると、次の2点がやはり評価すべきではないかと思われた。
フォイエルバッハの認識がマルクスと紙一重のレベルにあったということ。
マルクスの思想の経歴に、「認識論的断絶」などなかったということ。
この2点は、誠に重要な問題であると、改めて思いなおした。そうすると本書の評価はもっと上げなければならない。
なんといっても、「経済学・哲学手稿」の第3草稿から、マルクスの自然哲学をひっぱりだして、展開させたところが、自分にはユニークに思えた。「経済学・哲学手稿」といえば、第1草稿の「疎外論」ばかりが議論されてしまうのだが、同じ疎外論でも、吉本隆明は、第3草稿の「自然哲学」に疎外論を見出し、マルクスの「思想」の基底に据える。「後期」マルクスは疎外論を捨てたとか、捨てていないとか、後日いろいろ議論が流行したが、そういう人工的な議論には拘泥せずに、自然哲学から資本論までまとめて「マルクス」を論じる力技はただただ感服。やや情緒的に過ぎる特異な文体だが、鋼のようなマルクスを「こちらがわに」引っ張りこんで論じるには、それぐらいのアクの強さが無くては駄目なのだろう。