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ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫)

ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫)

出版社 大和書房
著者 吉本 隆明
発売日 2006-12-10

この本に関する書評

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Amazonレビュー

この作品が書かれた2002年頃と今とでは、とくにひきこもりが問題となる年頃の人々を取り巻く状況は一変した。時代は変わった。「ひとりの時間をもつこと」はやはり正しかったのだ、と多くの人たちが本書からパワーをもらったはずだが、この状況下ではどうなのだろう。新たな意見を聞かせてもらいたい
ひきこもりというのは今まで、テレビを始めとするメディアにおいて怖ろしくネガティブなもの
として扱われてきた。学校にも行かず、働きもせず、ただ部屋にこもっていて、実の親にさえ
もはや何を考えているのかさえわからない不気味な存在、社会のお荷物。それが元来の
ひきこもりのイメージだった。

吉本は本書において、タイトルどおり(一時の)ひきこもりを推奨し、その「ひきこもってい
る間」にこそ何か創造的な営みが行われうるのではないか、と実体験を交えながら論じる。
アウトプット(誰かとの交流)しているだけでは、いずれはネタ切れを起こしてしまう。時に
は自宅にひきこもってインプット(思索にふける)していくことこそが、重要なのではないかと
いうのだ。そしていずれは、インプットした先で、家族を作るために自らの意志で部屋のドア
を開けるのだと(家族を作らない(あるいは作れない)という人たちはどうすればいいのだろう、
という素朴な疑問は残るが)。

主張はわかる。ただこのネットが普及した今の時代、そのような素朴な二元論では通じない
ところもあるのではないか、という気もする。ネットにつながっていれば、実は部屋にひきこ
もっていても社会とは一見コミットメントしている(ような錯覚に陥る)からだ。そして、俗に
言うネトゲ中毒者たちは、その「コミュニケーションへの中毒」によって、部屋から出られな
くなっていると聞いたことがある。彼らがひきこもって行う「創造」とは、あくまで電脳空間の
プログラミングの制御下にある「フィクション」であり、また彼らのネット上で繰り出すコミュニ
ケーションもあくまで仮想空間上においてのそれのわけであり、実社会を生きる血の通った
他者との交流とはまた千里の径庭がある。

彼らはもしかすると、ひきこもっているにもかかわらず電脳空間上では「コミュニケーション
強者」ということになるのかもしれない。それはテクノロジーの発展した末の、あまりにも痛烈
すぎる皮肉ではあるが。
吉本ばななのお父様、吉本隆明氏の「ひきこもり」に関する思惟。
自分の根っこの思想と似通っている部分もあって、
なるほど、と思いながら読んだ。

吉本氏自らがひきこもりであることを認めた上で、

「ひきこもりが必要ならばひきこもりをするべき。」
「不登校は悪くない。学校の「偽の厳粛さ」は耐えるに値しない。」

他者との関係性を無理やりにでも気付かせようと、ひきこもりの子供たちを社会に出したりすることはもってのほか。

「ひきこもり」という内面との会話が長けている人格として尊重すべきで、必要であればむしろ「ひきこもる」ことは必要な行為で、周りもそれを承認するほうが望ましい。

学校社会の関係性になじめずに、不登校に陥る子供も、結局のところ、学校社会が「偽の厳粛さ」を、先生という権威者が押しつけることに起因するもので、ひきこもりの責任じゃない。

「ひきこもり」というのは、ただただこもっているわけではない。「ひきこもり=内面との会話」なのであって、それを他者が否定したり、よくないものだと価値観をおしつけることは、内面の豊かさを形骸化させてしまいかねない。

自分の時間を大切に。
どんなに忙しい人にでも。
ひきこもりたいときはあると思う。
読みやすいです。1ページの文字数がスカスカで、小見出しも端的な言葉が選ばれていますから、斜め読みしてもだいたい内容を追えます。私も約30分ほどで一気に読みきれました。

「孤独(ひきこもり)」に「善・悪」の判断を下すのはおかしい、という指摘はなるほどと思わされます。

良い意味で、人間の不完全性・不器用さを指摘し、それを認めていこうではないか、という主張が一貫していました。

学校環境(教師と生徒)のお話などは若干古くさくて説教くさいですが、ラディカルな物言いは著者のレトリック(笑)でしょうし、これくらい強引に書かなければいけないほどに自覚が足りない、という著者の危惧として読み取れます。

最後に、実用を考えている方は、第三者への主張のために読むのではなく、自己防衛または心の支えとして本書を頭に入れておく程度がいいと思います。

「ひきこもり」に偏見的な方々が本書の主張で心を動かされるとは、なかなか思えないですし、著者がそこまで欲張っているようには感じられなかったからです。
吉本隆明氏がこの本で「死」について真正面から語るとき、とても潔く、ひとときも目をそらさない強い力を感じた。
「子どもの自殺は親の代理死である」
一人の親である吉本氏がこのように語るには相当な覚悟が要るはずだろうが氏はあえて語る。
この語りの強さに、人によっては違和感や拒絶感を覚えるもしれないが、私は大きな勇気を感じた。大人として、子どもを死なせない生き方をしたい。