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偉大な数学者たち (ちくま学芸文庫)
出版社 筑摩書房 著者 岩田 義一 発売日 2006-12
この本に関する書評
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Amazonレビュー
古代から近世までの数学者の人生を学び、様々な数学者の情熱と努力、思考過程が堪能出来て、数学に対する興味付けには最適。
値段が微妙に高い気がするけど良書。更なる研究に対して興味が湧き、少し高いが、 オイラーの無限解析 、 オイラーの解析幾何
、 ガウス 整数論 (数学史叢書) 、 リーマン論文集 (数学史叢書) 等の本も少しずつ、勉強したくなった。
値段が微妙に高い気がするけど良書。更なる研究に対して興味が湧き、少し高いが、 オイラーの無限解析 、 オイラーの解析幾何
、 ガウス 整数論 (数学史叢書) 、 リーマン論文集 (数学史叢書) 等の本も少しずつ、勉強したくなった。
文庫版あとがきを読むまで、本書が60年近くも前に書下ろしされた中学生向き叢書の一冊だったことを知らなかった。歴史に名を残した「数学者」たちの肖像写真が載る横組みの本文は古さを感じさせず、素人をビビらせる難解な数式もほとんどない。あくまで数学史を彩った偉才の横顔紹介に徹している。
少し違和感を覚えるのは、日本語の文章なのに、句読点(「、」「。」)ではなく、コンマ(「,」)、ピリオド(「.」)が使用されていることだ。著者自身が意図したかは不明だが、是非とも改版の際には普通の形に直してもらいたい。それでこの名著の価値が損なわれるとは思えない。
物理学者だった著者が数学研究の通史を執筆した動機は、ギリシア、ローマの古代文化に興味を抱いたことにあるらしい。西洋人にとっての精神文化の起源、教養の拠り所がそこにある以上、物理学を志した著者もまた熱情大河の源流探訪に魅せられたようだ。
一読者としては、革命の余波で混乱するヨーロッパ大陸での天才たちの交流と切磋を興味深く読んだ。なかでも、齢若くして散った二人の数学者、アーベルとガロアの悲劇には嘆息を禁じえなかった。著者が云うように、あと五六年の寿命があったなら、どんなに素晴らしい数学史の展開が見られたかと思うと、窮乏や論文紛失を齎した運命の過酷さがひどく恨めしい。
少し違和感を覚えるのは、日本語の文章なのに、句読点(「、」「。」)ではなく、コンマ(「,」)、ピリオド(「.」)が使用されていることだ。著者自身が意図したかは不明だが、是非とも改版の際には普通の形に直してもらいたい。それでこの名著の価値が損なわれるとは思えない。
物理学者だった著者が数学研究の通史を執筆した動機は、ギリシア、ローマの古代文化に興味を抱いたことにあるらしい。西洋人にとっての精神文化の起源、教養の拠り所がそこにある以上、物理学を志した著者もまた熱情大河の源流探訪に魅せられたようだ。
一読者としては、革命の余波で混乱するヨーロッパ大陸での天才たちの交流と切磋を興味深く読んだ。なかでも、齢若くして散った二人の数学者、アーベルとガロアの悲劇には嘆息を禁じえなかった。著者が云うように、あと五六年の寿命があったなら、どんなに素晴らしい数学史の展開が見られたかと思うと、窮乏や論文紛失を齎した運命の過酷さがひどく恨めしい。
半世紀をへて名著がよみがえった。
初版は1950年に「中学生全集」(全16巻)の一冊として筑摩書房から出たものだ。
タイトルのように、古代から近世にいたる2000年の間に排出した偉大な数学者たち
の人生と業績が実に平易に簡潔に、また驚くべき事にひと続きの歴史として書かれている。
ガリレオや最後の登場人物であるガロアのように劇的な生涯を送った人物も少なくはないが、
読んでいて血わき肉おどる感動に次々おそわれるのは、そのためではない。数学が、まるで
生き物のように成長していく様が手にとるように伝わってくるからなのだ。数式も術語も
ほとんど皆無なこのようなコンパクトな本で、なんという名人芸であろう!
あとがきにこうある。「すぐれた芸術作品と同じように、数学においてもすぐれた著作は
深く人を感動させる」 なるほど、これは感動の連続体としての数学史なのだ。そして、
それを貫く主調低音は「数学への狂熱」すなわち「高度の精神の集中とそれをつづけていく
強い意志」である。「このことの中にこそ、何ものにもかえがたい深い喜びがひそんでいる」
初版は1950年に「中学生全集」(全16巻)の一冊として筑摩書房から出たものだ。
タイトルのように、古代から近世にいたる2000年の間に排出した偉大な数学者たち
の人生と業績が実に平易に簡潔に、また驚くべき事にひと続きの歴史として書かれている。
ガリレオや最後の登場人物であるガロアのように劇的な生涯を送った人物も少なくはないが、
読んでいて血わき肉おどる感動に次々おそわれるのは、そのためではない。数学が、まるで
生き物のように成長していく様が手にとるように伝わってくるからなのだ。数式も術語も
ほとんど皆無なこのようなコンパクトな本で、なんという名人芸であろう!
あとがきにこうある。「すぐれた芸術作品と同じように、数学においてもすぐれた著作は
深く人を感動させる」 なるほど、これは感動の連続体としての数学史なのだ。そして、
それを貫く主調低音は「数学への狂熱」すなわち「高度の精神の集中とそれをつづけていく
強い意志」である。「このことの中にこそ、何ものにもかえがたい深い喜びがひそんでいる」