情報
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私は若者が嫌いだ! (ベスト新書)
出版社 ベストセラーズ 著者 香山 リカ 発売日 2008-12-09
この本に関する書評
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Amazonレビュー
しがみつかない生き方を書いた著者と同じ人が書いたとは思えない。気分や時流によって主張が変わるのはいただけない。
「今時の若者は……」と呟く大人たちは必ずいるはず。その代弁者ではないかもしれないが、香山さんはその考えを主張する一人だ。
だが、若者が嫌いだと呟いている香山さん。本当は嫌いではないのでは?本当に嫌いであれば、本作の出版はしなかっただろうし、ましてや若者たちの相談すら絶対にしないはず。だからこの本が香山さんの本心を貫いたエッセイかと言えば絶対に無理がある。
若者を擁護する発言や立場が随所に表れているし、若者を批判する表現も悪めいたものでは決してないはず。
若者の精神力やモチベーションは別として、前向きに生きているのに上手くいかない同世代の若者がいたら香山さんはどう対応するのだろう?これが気になるポイントだ。若者の全てが大人から嫌われるようでは決してないし、かと言って香山さんが全ての若者を診る事にも限界があるだろう。
しかし、こういう若者もいるんだよという前向きな肯定論は香山さんには無いのだろうか?
香山さんの言いたいことは分かる。ただ若者だけではなく、大人も含めて全ての人間は十人十色である。「最近の若者は……」という大人がいるなら、「最近の大人は……」という若者さえいると言う事を理解してもらいたい。
だが、若者が嫌いだと呟いている香山さん。本当は嫌いではないのでは?本当に嫌いであれば、本作の出版はしなかっただろうし、ましてや若者たちの相談すら絶対にしないはず。だからこの本が香山さんの本心を貫いたエッセイかと言えば絶対に無理がある。
若者を擁護する発言や立場が随所に表れているし、若者を批判する表現も悪めいたものでは決してないはず。
若者の精神力やモチベーションは別として、前向きに生きているのに上手くいかない同世代の若者がいたら香山さんはどう対応するのだろう?これが気になるポイントだ。若者の全てが大人から嫌われるようでは決してないし、かと言って香山さんが全ての若者を診る事にも限界があるだろう。
しかし、こういう若者もいるんだよという前向きな肯定論は香山さんには無いのだろうか?
香山さんの言いたいことは分かる。ただ若者だけではなく、大人も含めて全ての人間は十人十色である。「最近の若者は……」という大人がいるなら、「最近の大人は……」という若者さえいると言う事を理解してもらいたい。
とにかくニーズがあるからこういう本が出てしまうんだと思う。
職場(教育関係)のある先生がデスクにおいていて気になった本。
更年期世代で新しい価値観に柔軟に対応できなくてココロが辛いひと
なおかつ悪いのはみんなあいつらだって思えるタイプの人にすすめる。
若い人は理不尽なお局はこういう考え方なんだなって知るにはいいかも!
用途を変えて若い人にすすめる。
もちろん、上司が柔軟な考え方が出来るなら問題なし!
職場(教育関係)のある先生がデスクにおいていて気になった本。
更年期世代で新しい価値観に柔軟に対応できなくてココロが辛いひと
なおかつ悪いのはみんなあいつらだって思えるタイプの人にすすめる。
若い人は理不尽なお局はこういう考え方なんだなって知るにはいいかも!
用途を変えて若い人にすすめる。
もちろん、上司が柔軟な考え方が出来るなら問題なし!
最近著者の著作に触れて、右傾化を危惧しすぎるあまり無関係のものまで巻き込んで批判しすぎているところがあるとしていくらか批判的なレビューを書いたのだが、確かに著者の指摘するものが何かと政治的主張に利用される事、特に右翼により重視される事が少なくないのは事実であるし、批判しすぎたかもしれないとも思っていた。
だがどうしてこうなってしまうのか。やはり著者の批判の矛先はおおいに的外れで独善的で空回りでツッコミどころ満載であるのではないか。私は若者論にさしたる意味があるとは思っておらず年齢は大したモノサシにならないと思っている。だから別に若者を嫌いと言う著者に対して若者を好け、若者は素晴らしいと言いたいわけでもないが本書の書名や内容を遺憾に思わないわけでもない。
思えばこのような書名で若者を偏屈で保守的で不寛容な視点から批判してきたのはこれまでしばしば右派であった。だから著者名を見ずに書名だけ見ると一体どこの右派、保守派が挑発的な書名で若者を煽って喜んでいるのだろうか、と印象を受ける。「若者は弱い」「若者は親ゴロし的意味でヤバイ」「若者が好きなネットは駄目」「若者は想像力がない」「私は若者が嫌いだ」こんな目次段階の言い草を並べただけでも、もう駄目、著者が駄目という感じだ。私の左右基準で言えば(私の基準など知ったこっちゃないと言われるだろうが)右傾化しているのはむしろ香山氏当人でありもっと分かりやすく言えば、香山氏の諸々の主張はどう見ても従来から「保守的」とされてきたものである。その意味では日本の右傾化を危惧してきたミイラ取りがミイラになったような形になるのだろうか。
偏屈な、自分が気に食わない人間性をネチネチと批判し、ヒ定し、全てに改善を求め、しかも全若者を一括りにするような書名と内容の本を平気で出版する。こんな著者と知り合いであれば私も最近のろくでもない若者として嫌われ、ネチネチグチグチ言われるのだろうか。もう批判しすぎたかななんて気も失せた。人間のたかが知れた。…と、このようなコク評で終えてもいいのだが、もう少し無理をして本書の微かな利点を指摘しつつ、上記の批判を別の言い方で繰り返してみたい。プロローグとエピローグ辺りだけ読むとあまりにヒドく見える本書もその間を通読すればそれだけで徹底的に足蹴にする程にヒドい内容ではない。分析として多少の意味を持ったものもあり、参考になる人はいうると思われる。私としても私自身や、私の若い知人に当てはまりそうな指摘は少なくなく存在した。
だがそれは本当に若者にだけ言える事なのか。著者はそれら全ての指摘、分析を「日本の若者は」と書き出すが、それは本当に若者の特徴なのか。そうでない若者はいないのか。それは大人、老人には当てはまらないのか。あるいは「最近の若者」とも言うが本当に過去の若者はこのようでなかったのか、といった当たり前の問題が常にある。それがある限りいかに個々の指摘がいくらか実感として「あるある」だったとしても本書の根本的な問題はなくならない。次に千歩譲ってこれに目を瞑るとしても、次には「だからなんだ」と言う事が出来る。あるいは「それが悪いのか?」と言う事が出来る。ハン罪ならまだしも本書プロローグでヒ定されるのは「すぐ音をあげる若者」「居場所がないとさ迷う若者」「キレる若者」「大人を信頼しすぎる若者」「大人に甘える若者」「学力がないくせに開き直ってる若者」「自信がありすぎたりなさすぎたりする若者」「自分の事しか考えない若者」「他人に厳しい若者」「簡単に傷つく若者」である。これをヒ定できるのは個人的な好悪の感情か、偏屈なモラルによった場合だけであり、法的人権的観点からはなんらヒ定する理由のないものだ。
本書の書名は著者が自分の気に入らない若者の(と著者が思い込んでいる)特徴を挙げ、それらに「嫌い」とだけ表明するものだ。書名通り「私は個人的にこういう奴が嫌い」と表明したかっただけなのかそれとも「こういう奴らは許されるべき存在ではなく今すぐ私の気に入る人間に人格改造すべき」と思って書いたのかでだいぶ違ってくる。後者なら著者はサイアクだと思うし、前者である場合は本書はクダラナイと思う。本書は著者が個人的に嫌いなタイプにひたすら私的な説教をかます本か恐ろしく保守的で反リベラル(リベラルは特定の人間性をプッシュしたりはしない)な著者の日本の若者全てを自分の意に沿う人間性に改革しようとする本(押し付けようとする時点でこれはもはや私的説教ではなく公的強要)か、そのどちらかだろう。どちらにせよろくなものではない。
だがどうしてこうなってしまうのか。やはり著者の批判の矛先はおおいに的外れで独善的で空回りでツッコミどころ満載であるのではないか。私は若者論にさしたる意味があるとは思っておらず年齢は大したモノサシにならないと思っている。だから別に若者を嫌いと言う著者に対して若者を好け、若者は素晴らしいと言いたいわけでもないが本書の書名や内容を遺憾に思わないわけでもない。
思えばこのような書名で若者を偏屈で保守的で不寛容な視点から批判してきたのはこれまでしばしば右派であった。だから著者名を見ずに書名だけ見ると一体どこの右派、保守派が挑発的な書名で若者を煽って喜んでいるのだろうか、と印象を受ける。「若者は弱い」「若者は親ゴロし的意味でヤバイ」「若者が好きなネットは駄目」「若者は想像力がない」「私は若者が嫌いだ」こんな目次段階の言い草を並べただけでも、もう駄目、著者が駄目という感じだ。私の左右基準で言えば(私の基準など知ったこっちゃないと言われるだろうが)右傾化しているのはむしろ香山氏当人でありもっと分かりやすく言えば、香山氏の諸々の主張はどう見ても従来から「保守的」とされてきたものである。その意味では日本の右傾化を危惧してきたミイラ取りがミイラになったような形になるのだろうか。
偏屈な、自分が気に食わない人間性をネチネチと批判し、ヒ定し、全てに改善を求め、しかも全若者を一括りにするような書名と内容の本を平気で出版する。こんな著者と知り合いであれば私も最近のろくでもない若者として嫌われ、ネチネチグチグチ言われるのだろうか。もう批判しすぎたかななんて気も失せた。人間のたかが知れた。…と、このようなコク評で終えてもいいのだが、もう少し無理をして本書の微かな利点を指摘しつつ、上記の批判を別の言い方で繰り返してみたい。プロローグとエピローグ辺りだけ読むとあまりにヒドく見える本書もその間を通読すればそれだけで徹底的に足蹴にする程にヒドい内容ではない。分析として多少の意味を持ったものもあり、参考になる人はいうると思われる。私としても私自身や、私の若い知人に当てはまりそうな指摘は少なくなく存在した。
だがそれは本当に若者にだけ言える事なのか。著者はそれら全ての指摘、分析を「日本の若者は」と書き出すが、それは本当に若者の特徴なのか。そうでない若者はいないのか。それは大人、老人には当てはまらないのか。あるいは「最近の若者」とも言うが本当に過去の若者はこのようでなかったのか、といった当たり前の問題が常にある。それがある限りいかに個々の指摘がいくらか実感として「あるある」だったとしても本書の根本的な問題はなくならない。次に千歩譲ってこれに目を瞑るとしても、次には「だからなんだ」と言う事が出来る。あるいは「それが悪いのか?」と言う事が出来る。ハン罪ならまだしも本書プロローグでヒ定されるのは「すぐ音をあげる若者」「居場所がないとさ迷う若者」「キレる若者」「大人を信頼しすぎる若者」「大人に甘える若者」「学力がないくせに開き直ってる若者」「自信がありすぎたりなさすぎたりする若者」「自分の事しか考えない若者」「他人に厳しい若者」「簡単に傷つく若者」である。これをヒ定できるのは個人的な好悪の感情か、偏屈なモラルによった場合だけであり、法的人権的観点からはなんらヒ定する理由のないものだ。
本書の書名は著者が自分の気に入らない若者の(と著者が思い込んでいる)特徴を挙げ、それらに「嫌い」とだけ表明するものだ。書名通り「私は個人的にこういう奴が嫌い」と表明したかっただけなのかそれとも「こういう奴らは許されるべき存在ではなく今すぐ私の気に入る人間に人格改造すべき」と思って書いたのかでだいぶ違ってくる。後者なら著者はサイアクだと思うし、前者である場合は本書はクダラナイと思う。本書は著者が個人的に嫌いなタイプにひたすら私的な説教をかます本か恐ろしく保守的で反リベラル(リベラルは特定の人間性をプッシュしたりはしない)な著者の日本の若者全てを自分の意に沿う人間性に改革しようとする本(押し付けようとする時点でこれはもはや私的説教ではなく公的強要)か、そのどちらかだろう。どちらにせよろくなものではない。
私は著者と同じ年代ですが、若者が好きだ(若さ故の間違いがあるにせよ)。
30代子なし女が負け犬女なら、香山リカは40代化け猫タレントだ。
精神科医でもなければ学者でもない。ただのタレント。聞けば今は大学教授になったそうで。
同じ大学教授として、若者が好きでなければ教師が勤まるかと言いたい。
ひどいこといいますが、香山リカの本はこの本にかぎらずデタラメノの内容が多すぎる。
化け猫女タレントの愚痴はもうたくさんだ。
30代子なし女が負け犬女なら、香山リカは40代化け猫タレントだ。
精神科医でもなければ学者でもない。ただのタレント。聞けば今は大学教授になったそうで。
同じ大学教授として、若者が好きでなければ教師が勤まるかと言いたい。
ひどいこといいますが、香山リカの本はこの本にかぎらずデタラメノの内容が多すぎる。
化け猫女タレントの愚痴はもうたくさんだ。