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株式会社という病 (NTT出版ライブラリーレゾナント)
出版社 NTT出版 著者 平川 克美 発売日 2007-06
この本に関する書評
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Amazonレビュー
本書を貫くのは、「会社の「内部」を貫徹しているものの考え方というものが、私たち個人の考え方や、渡世の常識といわれるものと齟齬をきたし、時には倒立したものとなっている」という見立てだ。
昔は「会社」と「社会」がある程度ツーカーだった。「生産」の時代だよね。「消費」の時代になってから「会社」の論理と「社会」の論理は大きくズレはじめて、商品市場から金融市場へって昨今の超市場主義の世の中では「会社」が人格を喪失してしまっている。岩井克人の言う、「会社」の「ヒト」としての側面、「モノ」としての側面で言えば、あまりに「会社」が「モノ」化してしまっている(しかし「法人」って言葉はすごい)。会社に「労働-生産-販売-資本回収といったプロセスとは別の、投資-リターンという投機的な要素が仕込まれたこと」ってのが大きいね。まあ「会社」ってのは作者が言うとおり、元来、「社会」の論理、あるいは神の声に矛盾するような人間の欲望を肯定してくれる“もうひとつの神の声”として人間が発明したものなんだよね。ひとりの人間の中に「社会」に帰属する自分と「会社」に帰属する自分が居てさ。企業不祥事が後を絶たないけど、他人事としては「社会」の論理に立って思考出来ても、もし当事者だったら「会社」の論理に抗する自信が俺にはない。コンプライアンスってのは「会社」の論理(欲望/現実)と「社会」の論理(倫理/理想)の狭間で、「ここまではやってもいい」って基準だと思うけど、「じゃあ、法律だけ遵守すりゃ何やってもいいのかよ?」ってのもあるし。
この本、思考が部分的に岩井克人や内田樹の借り物競争になってて、循環関数のように前に進んでいかないというか、手に文が付いてないところがある。「ビジネスとは何かという問いに対する答えは、ビジネスの現場には埋まってはいない」とは言え、現場からの思考をもうちょい開陳してほしかったな。
昔は「会社」と「社会」がある程度ツーカーだった。「生産」の時代だよね。「消費」の時代になってから「会社」の論理と「社会」の論理は大きくズレはじめて、商品市場から金融市場へって昨今の超市場主義の世の中では「会社」が人格を喪失してしまっている。岩井克人の言う、「会社」の「ヒト」としての側面、「モノ」としての側面で言えば、あまりに「会社」が「モノ」化してしまっている(しかし「法人」って言葉はすごい)。会社に「労働-生産-販売-資本回収といったプロセスとは別の、投資-リターンという投機的な要素が仕込まれたこと」ってのが大きいね。まあ「会社」ってのは作者が言うとおり、元来、「社会」の論理、あるいは神の声に矛盾するような人間の欲望を肯定してくれる“もうひとつの神の声”として人間が発明したものなんだよね。ひとりの人間の中に「社会」に帰属する自分と「会社」に帰属する自分が居てさ。企業不祥事が後を絶たないけど、他人事としては「社会」の論理に立って思考出来ても、もし当事者だったら「会社」の論理に抗する自信が俺にはない。コンプライアンスってのは「会社」の論理(欲望/現実)と「社会」の論理(倫理/理想)の狭間で、「ここまではやってもいい」って基準だと思うけど、「じゃあ、法律だけ遵守すりゃ何やってもいいのかよ?」ってのもあるし。
この本、思考が部分的に岩井克人や内田樹の借り物競争になってて、循環関数のように前に進んでいかないというか、手に文が付いてないところがある。「ビジネスとは何かという問いに対する答えは、ビジネスの現場には埋まってはいない」とは言え、現場からの思考をもうちょい開陳してほしかったな。
著者は注意深く思慮深く極端に走ること単純に割り切ることを避けている。
スパッとズバッと決め付けないと気持ち悪い、という人にはなんだか何が言いたいのかわからない気持ちの悪い本なのかもしれない。
でも私はおおむね著者の言わんとするところには共感できた。
自分自身を相対化する知性。いろいろな意味で高度化先鋭化していく現代社会においては特にそういう良識が求められているように思う。
スパッとズバッと決め付けないと気持ち悪い、という人にはなんだか何が言いたいのかわからない気持ちの悪い本なのかもしれない。
でも私はおおむね著者の言わんとするところには共感できた。
自分自身を相対化する知性。いろいろな意味で高度化先鋭化していく現代社会においては特にそういう良識が求められているように思う。
『ウェブ進化論』というトンデモ本に対するまっとうな批判をしていることだけでも、本書は推薦に値する。
「不特定多数無限大の知が結集する巨大なデータベース」という<発想>そのものが「反知性主義のイデオロギー」であると喝破し、情報は幾ら沢山集めても、沢山の情報に過ぎないという、極当たり前の、しかし今や噛んで含んだように教えてあげないと分からないらしい「ウェブ進化論者」らにとっては難しい議論を真正面から行なっている。
ソクラテスは言った。知とは無知の知であると。立派な大学を出たであろうウェブ進化論の論者やシンパらは、やはり学力が低下しているのだろう。
メタな知の集積が「知」の総合・統合につながる。僕はネットの友達を1万人持っている、これら進化論者のナイーヴ(莫迦)な子どもらしい発想は、オタクのコレクションにも相通じるといってはやはりオタクに失礼になろう。
本書は多くのビジネス書とは立ち位置が違う。それは、以上の議論を見ても分かろう。
「不特定多数無限大の知が結集する巨大なデータベース」という<発想>そのものが「反知性主義のイデオロギー」であると喝破し、情報は幾ら沢山集めても、沢山の情報に過ぎないという、極当たり前の、しかし今や噛んで含んだように教えてあげないと分からないらしい「ウェブ進化論者」らにとっては難しい議論を真正面から行なっている。
ソクラテスは言った。知とは無知の知であると。立派な大学を出たであろうウェブ進化論の論者やシンパらは、やはり学力が低下しているのだろう。
メタな知の集積が「知」の総合・統合につながる。僕はネットの友達を1万人持っている、これら進化論者のナイーヴ(莫迦)な子どもらしい発想は、オタクのコレクションにも相通じるといってはやはりオタクに失礼になろう。
本書は多くのビジネス書とは立ち位置が違う。それは、以上の議論を見ても分かろう。
利益追求のみにそのレーゾンデートルを持つ「会社」という組織は先天的に病んでおり(これは良い/悪いという問題ではない)、自らが作り出した会社に縛られている我々はその「病」に対して常に意識的でなければならない、というお話。
ここから、お金でお金を得るという株式会社の特殊性に話は広がり、宗教観や金融の起源、さらには共同体の倫理観へと、次々に話題が展開していきます。
だいぶん話が発散しており、原理的な問いかけがなされるだけでその解決は一切図られない、という非常にフラストレーションの溜まる状態に陥るわけですが、まあ要するに、そういう「病」の周辺事項に対して自覚を持つということが最も重要なことらしいので、そのつもりで読みましょう。
そんなに目新しいことが書いてあるわけでもありませんでしたが、非常に読みやすくわかりやすい文章で、ポイントをうまく整理し直した本になっているので、自分の頭を整理するのにはちょうどよいかと思います。
ここから、お金でお金を得るという株式会社の特殊性に話は広がり、宗教観や金融の起源、さらには共同体の倫理観へと、次々に話題が展開していきます。
だいぶん話が発散しており、原理的な問いかけがなされるだけでその解決は一切図られない、という非常にフラストレーションの溜まる状態に陥るわけですが、まあ要するに、そういう「病」の周辺事項に対して自覚を持つということが最も重要なことらしいので、そのつもりで読みましょう。
そんなに目新しいことが書いてあるわけでもありませんでしたが、非常に読みやすくわかりやすい文章で、ポイントをうまく整理し直した本になっているので、自分の頭を整理するのにはちょうどよいかと思います。